京の花街文化

インタビュー

祇園東 地方

とよひささん

キャリア60年の
プライド

芸妓になったきっかけどすか? 小さいころから、踊りが大好きどしたんどす。母の友だちのお茶屋の女将さんが「そないに踊りが好きなんやったら芸妓はんになったらええわ」というてくれはって、祇園東にお世話になったんどす。もう60年以上も前のこと。いざ、入ってみたら「踊りだけではあかん。(地方の)何かしときよし」と。そのころは、地方の大きい姉さん方がいっぱいいてはって、お囃子やったら少ないということで笛を習(なろ)たんどす。ただ、やっぱり踊りが一番好きやったさかいね。踊りで人に負けることは絶対いやどしたんどす。

豊壽さん

昭和40(1965)年ごろから、この街も若い立方さんが増えてきましてね、逆に、地方さんの大きいお姉さん方が亡くならはったりしてどんどん減っていったんどす。それで、踊りでは名前ももろてたんどすけど、うちが地方をやろう、と。そのためには早よからやっとかなと思て、笛のほかに三味線も仕込んでもらうことにしたんどす。立方はすっぱりとやめました。
そやけど、三味線は、大好きな踊りのようにはいかず、苦労したんどす。踊りでは、そう叱られることもおへんかったのに、怒られてばっかり。こんな言われるんやったら立方やったらよかったとよう思たもんどす。けど、地方になる言うてしもたから、もう後には引けん。そう思て稽古しました。稽古いうのんは、休んだらあきまへんね。毎日やるんどす。最初は、ポチ、ポチとしか弾けんかったのが、シャンシャンシャンシャンと弾けるようになってくる。これで、楽しなってねえ。

豊壽さん

祇園東では、踊り、お三味線、お囃子…何でもせなあかんのどすけど、今、みんなお座敷のお仕事が忙しすぎるんか、ちょっと稽古の時間が足りんのやないかと感じます。まあ、お座敷で一人の「弾き唄い」なら何とでもなるんどす。けど、何人かでやるとこれがなかなか、音や調子が合わしまへんね。舞台では、合わせることが大事どす。それが十人十色では困りますわ。うちら芸舞妓の本分はやっぱり芸事どす。若い人らにはとにかく芸に力を入れ、芸は祇園東が一番やと言われるよう努力してもらいとおす。うちも体の続く限り、芸妓でありたいなぁと思うんどす。

豊壽さん
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